こんにちは。
まずやってみて、気が付いたことを書いております。
「まずやってみて」と書きましたが、
今回は、単純に、ただ書きたいことです。
友人宅に、遊びに行くため、
手土産をもって行こうと、和菓子屋さんへ寄りました。
お店の中で、友人が何を好きか考えながら、
お菓子を選び、注文します。
注文した品を、包んでくれる少しの時間を、
店内で待ちます。
店内には、私が選ばなかったお菓子の他、
お店の広告、お菓子用の容器、パッケージ品、
そして、お店のPVが流れていました。
お店の建物、近所の風景、お菓子が出来るまでの
動画が、盛り込まれておりました。
PVは、非常にキレイにまとまっており、
動画とBGMが、調和した一つの作品でした。
数分間、キレイな映像をBGMが引き立てており、
私は、じっと見ていました。
「ただ、お店のPVが流れている」と、気にとめなくて良いのですが、
惹かれるモノがありました。
使われていたBGMです。
BGMには、歌詞はなく、
ピアノとギターの音で構成された曲です。
とても、心地の良いゆったりとした音楽です。
音楽は、海外の方が作られており、
歌詞、つまり言葉でなく、音のみの存在で動画を支えておりました。
欠けていては、不完全で、
そこにあることが、当然のこと、当たり前になっていました。
欠けてはならない、「当然のこと」という特別なモノ。
「当然のこと」という 、有難み。
人と人との関係でも、
自分という「当然のこと」は、誰かにとっての「特別」「有難み」
自分と最も近い人、近い方々、
その人、その方々と過ごす、何気ない時間。
何気ない、家族との時間、友人との時間、新たに出会う方々との時間
そういった、時間を一つずつ溜めていくことが、
「大切な記憶」になると思います。
そんなことを感じた、音楽でした。
最後まで、読んでくださって有難うございます。